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生い立ち

2011.11.13

木本です。


随分おまたせしました。生い立ちの続きをアップします。
今回は、大学時代を少し語ってみます。
 

大学に入って、テニスやりたい・・・と思い、体育会のテニス部に入りました。
練習後に毎日5Kmのランニングが有り、1人、2人と辞めてしまい、夏まで残ったのは私を含め、3人でした。
 

1人は大阪でBest16か8に入るような実力者。もう1人は、硬式は初めてながら、軟式で常に県でベスト4には入っていたというツワモノ。
 

一方私は、高校時代、テニス部に入るもキャプテンともめて、1年もたずに退部の軟弱者。ただ、中学の時に駅伝部で鍛えられていたので、ランニングが苦ではなく、ランニングだけは部でも1、2を争っていました。

1年生の間はさすがにレギュラーに入り込めなかったです。ただ、チームは団体戦無敗で、年末のリーグ戦でも勝って、昇格しました。キャプテンのリーダーシップが見事でした。

 2年生の時に、初めてレギュラーになり、ダブルスで団体戦にでました。

 今でも覚えているのが、大学王座という、一年で一番大切な試合に大阪の同期の奴と組んで臨んだ試合です。相手は変則的なプレーで揺さぶりをかけてきて、弱い方を徹底的に狙う作戦できました。必死に戦ったのですが、要所で確実に私を狙われ、パートナーのカバーも及ばず3-6,4-6位で敗れました。この時は本当に悔しくて、終わったあと悔し涙が流れました。後にも先にも試合で負けて泣いたのはこの時だけですが、当時のパートナーの彼は今でもたまに、「あの時急に泣きよるし~」と言ってからかってきます。

 2日目の相手は個人戦の成績もあり、格上の相手だったのですが、昨日のような思いは絶対にしたくないと、思い切ってプレーしました。最初の私のサービスゲームでサーブアンドドライブボレーという、練習でもやったことのないプレーが決まり、無我夢中にプレーした結果接戦で勝ちました。「ようやったな」とペアも励ましてくれ、この2試合は、自分が今テニスをやっている理由の一つだろうと思います。

 あれから10年以上たち、パートナーの彼は今や一児のパパとなってます。私はまだまだテニスコーチとしては未熟ですが、若手の元気さや勢い、ベテランの円熟味のあるレッスンにまけないよう、指導の勉強、自身の試合、練習に取り組みたいと思います。ハチファミは若手もベテランも、中堅もそれぞれ持ち味があって面白いよね(^-^)/と言ってもらえるよう、個々に取り組んでいますので、これからも皆さん末長くハチファミをよろしくお願いします。


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